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武田勝頼の墓所・・・景徳院

大菩薩峠の帰り(11/16)で、夕方となり暗かったのですが、
武田勝頼の墓所である『景徳院』によって見ました。
武田勝頼の墓所・・・景徳院_d0050693_104524.jpg
鎌倉の大寺院のような派手さはありませんが、
りっぱな山門がそびえていました。

武田勝頼といえば、
父親である信玄にははるかに及ばず、
織田信長に無謀な戦を仕掛けて敗れ、家をつぶした
どちらかというと”無能”な敗者というイメージが付きまといますが、
TORIは誤解があると思います。
”負け=無能”とするならば、
そのような解釈が成り立ちますが、
それは現代から過去である歴史を現代の目で見ているからで、
当時はまさしく『無敵!武田軍』であり、
勝頼も決して無能とまではいえない武将でしょう。
織田信長があまりにも超越した天才だったのです。
また、戦いを仕掛けざるを得なかったのは、日本が負けた太平洋戦争と同じでしょう。
前記論理から行くと”負けた日本=無能”となりますが、
ある意味間違っていないないのかもしれません。
負ける戦はしてはいけないのです!
負ければ今まで培ってきた文化、歴史もすべてを失うことになります。
すべて勝者側の歴史に書き換えられます。
勝てなくても負けない・・・そこがむずかしい


-すべての歴史(過去)を現代常識で見てはいけません!-
過去には過去の、
その時代にはその時代の通念・常識が存在します。
この事実に目をふさぎ、批判や主張している話が非常に多く見られます。

本当に無能ならば、
信玄の死後、今川家のようにあっという間に配下が離散してしまったことでしょう。

ところが、・・・
家をつぶした氏真が江戸時代まで生き延びて、
徳川の旗本になって生き延びて家名だけは残せたのはなんとも皮肉ですね!?

■武田勝頼 墓所■
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■勝頼 生害石■
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■勝頼夫人 生害石■
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辞世の句は
「おぼろなる月もほのかに雲かすみ 晴れて行くへの西の山のは」

とはいえ、やはり偉大であった信玄の後継は厳しかったのでしょう。
どこでも偉大な父を持つ2代目は苦労が多く大変ですね。

★E-510+オリンパス ED 14-42 F3.5-5.6
by torisanha | 2007-11-22 10:06 | お城めぐり

ダイエットと野鳥撮影、もろもろです!


by torisanha